こんにちは、そめです。
遅ればせながら、今話題の漫画、メイドインアビスを6巻まで読みました。いやはや、相当面白かったです。
進撃の巨人に似たハイファンタジーで、すこし似ている緊張感がありますね。進撃の巨人は1巻からか集めていましたら、こんなに面白い漫画が、2013年からあったなんて…。
チェックが漏れていたーー。
ひとつ、しまった!! と思ったのが、またしても、未完の漫画に手を出してしまったという…。発刊ペースを見ても、絵のディティールを見ても、遅筆はあきらかで、完結までにはまだ時間が掛かりそう…。
とはいえ、話のテンポは悪くないので、気長に待ちたいと思います。
で、今回はこの漫画に登場する重要なファクターである、「一度穴に降りると、上昇する時に身体的負荷がかかる」という制約が、何のメタファーなのかを、勝手に考えてみました。
お暇な人はお付き合いください。設定に関わる部分のお話は出しますが、大きなネタバレはありません。どうしても、少しのネタバレも嫌う方は、先に読んでからお読みになることをオススメします。
- あらすじ
- アビスの呪いは何のメタファーか?無理やり考えてみる。
- 知識を得ることによる、喪失
- 美食家は不幸?
- 頂きに近づかなければ見えない景色
- 探究心の果てにある無垢の喪失と不可逆性
- それなくして、人の進歩はない
- まとめ
あらすじ
人類最後の秘境と呼ばれる、未だ底知れぬ巨大な縦穴「アビス」。その大穴の縁に作られた街には、アビスの探検を担う「探窟家」たちが暮らしていた。彼らは命がけの危険と引き換えに、日々の糧や超常の「遺物」、そして未知へのロマンを求め、今日も奈落に挑み続けている。
ヒロインのリコは孤児院で暮らす探窟家見習い。アビスへの憧れが人一倍強い彼女は、母のような偉大な探窟家になることを夢見ていた。ある日の探窟で、リコは謎の存在に生命の危機を救われる。その何者かが放った熱線の跡を辿ると、そこには少年そっくりのロボットが倒れていた。
wikiからの引用ですが、ここからさらに付け加えますと、ヒロインのリコはある日、穴の底から送られた母の手紙を手にします。そこには「穴の底で待つ」と書かれていました。
しかし、穴を下るとその深さに応じて「アビスの呪」がかかり、穴から上昇しようとするとその深さに応じた負荷が体にかかり、ある深さを超えると上昇することで、死に至るという設定です。
ヒロインのリコはずっとアビスの穴にただならぬ好奇心を持ち、この手紙をきっかけに、穴の底を目指す決心をします。
それは制約により、仲間との別れ、すなわち二度と戻ってこれないことを意味していました。
これが、簡単な物語の設定とあらすじです。
アビスの呪いは何のメタファーか?無理やり考えてみる。
さて、初めにもお伝えした通り、今回考えてみたいのは、このメイドインアビスという物語を面白くしている「穴に潜れば潜るほど上昇負荷がかかり、一定の深さを超えると死に至る」という設定についてです。
穴の下に潜れば、探窟家にとっても、人類にとっても素晴らしい価値をもたらす、過去の人々が残した遺物が見つかる。しかし、穴の奥深くに潜るにはリスクが伴うという設定。
通常であれば、未熟なヒロインが何度も穴に挑戦し、跳ね返されては成長し、底までたどり着く、といった「チャレンジの人生観」をメタファーにしようところですが、この物語ではその要素を、あえてこの制約により省いています。
それにより読者は、独特の緊張感を持ってこの世界観に引き込まれます。
もし、あなたがロールプレイングゲームをやったことがあるのなら、ボスの居るダンジョンに、セーブも後戻りも出来ずに入っていかなければならないとしたら、どれほどの緊張感か、わかってもらえると思います。
では、この制約が、どんなメタファーを表しているか? 僕はこれを「知識や経験」のメタファーではないかと考えました。
知識を得ることによる、喪失
人は何かに興味を持った時、それについて知りたいと思うようになりますが、その世界に入り込めば入り込むほど、当初の無垢な感動は薄れ、知りたくなかった世界が見え、そしてある一定のラインを超えてしまうと、感動はなくなり、二度と始めの頃の感動は味わえない。
こういった経験は誰しもが一度はあるのではないでしょうか?(恋愛なんかそうかも…)
その好奇心が大きければ大きいほど、得ることによる喪失は大きかったりします。
美食家は不幸?
そういえば、2ちゃんねるの創始者のひろゆき氏が、面白いことを言っていました。
▼動画はこちら
どんなに美味しいものでも、何度も味わっていると美味しいと感じなくなる。なので、舌を肥やせば肥やすほど、幸せに感じる能力が減る。(ひろゆき)
これ実は、僕もずーっと思っていることで、いわゆる貧乏舌とか味音痴という人って結局勝ち組だよなあ、と感じています(因みに僕はかなりの味音痴です…)。
本当に、食べ物を食べながら顰め面で美味しくなさそうに「この料理は◯◯◯の味つけが…」「微妙に◯◯◯がきつい」なんて人を見ると、かわいそうな人…、と思っています。
同じ食べ物を食べても、幸福に感じられない人がいるということです。
そして、さらにこと食べ物に関して言うならば、僕ら味音痴人間は、何でもかんでも美味しいと言ってしまうがちなんですが、味の違いがわからないわけでもないんですよ。なので、「美味しいもの」と「めちゃくちゃ美味しいもの」の違いはわからないわけではないので、どちらも美味しく楽しめるという点で、コスパ的にも人生の幸福度的にも、かなりいいポジションにいるよなあ、と食に関しては思ったりしてます。
ちょっと脱線しましたが、無知であるからこその幸せがあるという、お話です。
頂きに近づかなければ見えない景色
とはいえ、僕自身もものすごく好きなものにドハマリした経験はあります。
そういった時に、上記に書いたような、無垢な感動を喪失することによる、何とも言えないやるせなさはあります。あの時、あんなに感動していたのに…、同じものを見ても全く感動しなくなってしました…、ということです。
しかしながら、ある程度の知識や経験を重ねなければ見えない景色があることも確かだと思います。当初は「これは何がいいんだろう?」と思っていたものも、歴史的背景、底に至るまでの流れ、その他の作品などを見ることにより、そのものの素晴らしさを初めて認識できるようになり、感動するということです。
やはり、山頂に登ってみないと見えない景色というのは存在しますし、知識を得ないとできない感動体験があることは間違いないです。
探究心の果てにある無垢の喪失と不可逆性
しかしながら、自分自身が深く掘り下げた分野においては、この世に新しく何かが創造され、それが感動に至るほどの体験を与えてくれるものが出来るまでは、時間がかかります。無垢な頃の見るもの全てが、めずらしく、感動的だったころのような、めまぐるしい感動体験はなくなっていきます。
そして、それは不可逆であり、二度と初めのころの「この分野は自分に、まだ見たことのない素晴らしい感動を与えてくれる」という期待感や好奇心が戻ってくることはありません。
どうでしょう、アビスの穴に近いものはないでしょうか?
それなくして、人の進歩はない
しかしながら、そういった好奇心、もっといえばそういった人間の性がなければ、分野の進歩や発展はありませんし、誰かがこの悲しい十字架を背をわなければ、人というものは前に進めないのです。
人間は「無垢」で有りたいと思いながら、それを断ち切り、いろんなものを背負って前に進まなくちゃいけない、そういった生き物だと、この「メイドインアビス」を見て改めて考えさせられました。
アビスの呪いが伝えてくれるのはそういったものではないかと考えたります。
まとめ
というわけで、メイドインアビスの「アビスの穴」が、「知識や経験がもたらす無垢な感動の不可逆性」のメタファー何じゃないかというお話、いかがだったでしょうか?
ヒロインが無垢なままでいれるのか、穴の底へと向かい、底にたどり着いた時、二度ともとの世界に戻れない時、ヒロインの胸の内はどうなるのか?
これからの展開が、べらぼうに楽しみですね!!
さて、最後にこの記事にふさわしい曲を一曲。
Hiroshi Kamayatsu ゴロワーズを吸ったことがあるかい
(歌詞の一部引用)
君はある時何を見ても何をやっても
何事にもかんげきしなくなった自分に
気が付くだろう
そうさ君はムダに年をとりすぎたのさ
できる事なら一生 赤ん坊でいたかったと思うだろう
そうさすべてのものがめずらしく
何を見ても何をやってもうれしいのさ
そんなふうな赤ん坊を
君はうらやましく思うだろう
最後までお付き合い、ありがとうございました!!
▼是非ともこちらのボタンから読者登録をお願いいたします♪