上場企業のコンテンツマーケティング担当がブログをはじめてみた

上場企業でコンテンツマーケティングを立ち上げ、担当している「そめ」です。そのノウハウを使ってブログをしたらどうなるか、試してみます。内容は「雑記」「DIY」「子育て」などなど。ノウハウは惜しみなく公開していきます。よろしくお願いいします。

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笑ってはいけない長渕剛はアートなのか?

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みなさんこんにちは、そめです。

 

皆さん、なにも言わずに、牛乳を口に含んで▼こちらを御覧ください。 

  

 

いかがでしたか? 色々動画を見ている時、何の因果かYouTubeがこの動画をおすすめしてきました。

 

僕は1分耐えることが出来ませんでした。

 

 

さて、この動画の圧倒的な破壊力はさておいて、動画のコメント欄にはこのような辛辣な言葉が並びます。

 

  • ただのキチガイでワロタ
  • この人10代で卒業するような事をおじさんになってから始めたから驚く
  • 荒々しく描くのは、誤魔化してるだけw

 

せやな。

 

と、言いたいところであるが、言っているが。さてはて、それで終わっては芸がない。これは果たして、一体何なんだろうか?ということである。

 

長渕剛がもともと書に造詣が深い、なんて話はもちろん聞いたことが無い。恐らくは初心者のレベルであろう。

 

しかしながら、では「書道家」と言われている人たちの作品はどのようなものか?

 

f:id:some20:20170805003239p:plain

出典:https://mainichi.jp/articles/20151212/ddl/k04/040/400000c

 

 

皆さん、結構なやんちゃぶりに見える。

 

もちろん、皆さんが思い浮かべる、いわゆる「書」というものも勿論ある。恐らくこのレベルの人達は、我々が見ても素晴らしさが伝わるものも、書くことが出来るだろう。(想像)

 

では、こういった人たちですら、直情的に筆をぶつけるのは、なぜなのだろうか?現代アートと、ある表現手法からそれを紐解いてみたいと思う。 

 

 

コンテンポラリーアートの世界

アートの世界には、コンテンポラリーアート、いわゆる「現代美術」と言われるものがあります。

 

この世界では、アートそのものの美しさ、ではなく、作品に込められた思いや、そこに通づる歴史、そのひとの人生背景までもを咀嚼しながらみる、というような世界で、非常に敷居が高い。

 

結果、作品単体でそれを目の前にした時「何やねんこれ」となるわけです。

 

shigoto-times.com

 

誰もやっていないことをやれ

かくいう私も実は大学時代、芸術大学で、現代アートを学び、そこそこ権威のある教授から、いろはを学びました。

 

そこで、教授が口酸っぱく言っていたのが

 

「誰もやっていないことをやれ」

 

ということです。

 

一見簡単なことのように思いますが、これが非常に難しい。世界中のアーティストと言われる人たちが、まだ見ぬアートの視覚化を目指して、奮闘しているわけです。

 

要するに、過去の作品の流れや、今の世界の流れを知らないと、「何が、まだやられていないことなのか」すらわからないのです。

 

ですので、正確に現代アートを見るには、膨大な知識が必要になります。

 

そういった、流れの中で自身の存在を見出す作業そのものが、現代アートなのです。そのなかで、紡ぎ出されたものが「作品」の形をなします。

 

matome.naver.jp

 

オートマティズム

オートマティズムという表現手法が有ります。これは、自動筆記なんかとも呼ばれ、要するに何も考えずに、頭を空っぽにして、ある行動にうつる、というやり方です。

 

これにより、よりその人の根源的な部分から出てくる、アイデア、言葉、絵、音、などに反映され、「自分の想像を超えた」作品ができあがるのです。

 

これは、アートはもちろん、アメリカでは論文を作成する際に、方向性を決めてから、書き始めるのではなく、まず頭に思いついた言葉をただひたすらノートに書き留めていき、そこに書き出されたものから、関連性を見出し、論文に落とし込むという、日本では少し考えづらいやり方があったりもするそうです。

 

有名な映画監督のデヴィッド・リンチ監督もこのような手法を使い、かの有名な超シュールドラマシリーズ「ツイン・ピークス」を作ったことも有名だったりします。

 

www.cinematoday.jp

 

まさに、書におけるこういったパフォーマンスも、このオートマティズムに通じるものが有ります。

 

製作中、考えてはいけないのです。

 

書道家の方が、ある程度の修練の末にたどり着く目に見える美しさの水準があるとすれば、そこを脱するには、もはや自分自身にとらわれないよう、こういった手法で、己を解き放つしかないのです。

 

その上で、数多の表現されてきたものの中で、膨大な知識の中からまだ見ぬ筆運び、もしくは、まだ見ぬパフォーマンスそのものが、自己表現としての作品になるのです。

 

音楽家、兼、書道家

というわけで長渕剛のそれも、表現手法としてのオートマティズムと、そこで出来あがった作品単体で評価するのではなく、それまでに過去の書道家が積み上げてきた、書道パフォーマンスの歴史と長渕剛自身が積み上げてきた音楽家としての歴史などを、紡いで、咀嚼して作品を見ることによって、初めてアートとしての価値が見えてくるという、とても面倒くさい奥が深い動画なのです。

 

恐らく、音楽家でありながらこういった書の歴史を紡いで、作品にした人は過去にはいないのではないだろうか?

 

そういった意味では、これは立派な現代アートといえます。

 

作品の完成度

ただし、作品の完成度は、経験に裏打ちされるものなので、そこに関して、決してレベルが高くないということに、異論の余地はない。

 

ただし、現代アートという文脈において、一つの表現手法として成立している、そこは切り分けて考えても良いだろう。

 

さてはて、笑ってはいけない長渕剛の動画から、案外深いところまで来てしまった…。

 

一体、何が自分をこの文章に書き起こすまでに駆り立てたのか…、は別に考えるほどのことでもないので、胸の奥にしまっておきます。

 

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