上場企業のコンテンツマーケティング担当がブログをはじめてみた

上場企業でコンテンツマーケティングを立ち上げ、担当している「そめ」です。そのノウハウを使ってブログをしたらどうなるか、試してみます。内容は「雑記」「DIY」「子育て」などなど。ノウハウは惜しみなく公開していきます。よろしくお願いいします。

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なぜアイドルは結婚してはけないのかを、アイドルのたった2つの定義からシンプルに考えてみた。

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こんにちは、そめです。

 

コンテンツマーケティングをテーマにしますといいながら、2個め(1個めが挨拶だったので実質的には1個め)にして、全く畑違いのアイドルをテーマにした雑記を書くあたり、いい加減な人間性が透けて見えそうで恐ろしい限りです。

 

 

 

そうです、皆さんご存知、2017年6月17日のAKB総選で結婚発表をしたNMB48須藤凜々花さんに端を発した、アイドルは結婚してもいいのか問題。

 

自分自身は、アイドルにはあまり興味がなく、それが故に客観的に見れて、いい論理思考の材料になると思い、ブログに書き残しつつ考えてみたら、

 

案外シンプルに定義できるのでは?

 

という結論に至りましたので、ここにご報告をさせていただこうかと。

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そもそもアイドルの定義って、一般的に何?

さて、この問題を考えるにあたり、「そもそも、アイドルってどういう人のことを言うのさ?」という問題を置き去りには出来ないでしょう。

 

むしろここが曖昧なので、揉めてんじゃねえ?

 

とすら思いましたね。

 

では、こういうときは早速wiki先生に聞いてみましょう。

 

 

日本の芸能界における「アイドル」とは、成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物を指す[2]

 

(中略)

 

外見が最も重要視されるモデルとは異なり、容姿が圧倒的である必要はなく親しみやすい存在であることが多い[2]。一方で、はっきりと目には見えない「華」や「人間的魅力」が強く求められるため、一流のアイドルは手が届きそうで届かない存在となる[2]

 

“存在そのものの魅力”よりも“音楽的スキル”が主たる職業能力である場合には、「アイドル」には分類されず「アーティスト」や「ミュージシャン」などと呼ばれる。ただし本人や所属事務所などの意向により、どちらの立場をとるか決めることもでき、線引きはあいまいである。そのため本人が「アーティスト」と名乗っていても、「アイドル」に分類されることがある[3]

 

アイドル - Wikipedia

 

皆さんいかがでしょうか?

 

腹落ちしました?

 

個人的には、超抽象的で文中にも「であることが多い」「線引きはあいまいである」とか、要は

 

「解釈は人によって変わっちゃうんじゃね?」

 

的な感じがプンプンします。

 

他にも、yahoo知恵袋や個人ブログにも色々と書いてありましたが(気になる人は「アイドル 定義」でググってちょ)、「もっとこう…、あるだろう!!」という思いは、払拭できません。

 

もっとシンプルに、定義できないもんか?

 

これは、もう自分なりに考えてみるしかなさそうです。

 

というわけで、勝手に定義をさせていただきます(責任はとりません)。

 

一つ目の再定義

アイドルとアイドル的存在の違い

世の中には、アイドル的存在、と呼ばれる人達がいる。

 

彼彼女らは、あくまでアイドル「的」存在であって、アイドルではない。ということは、この線引がどこで引かれるのか?が見えてくれば、おのずと「アイドルとは?」の答えに近づけるのではないだろうか?

 

アイドル的存在と言われる人たち

具体的にはこんな人達があげられる

 

・クラスのアイドル的存在

・卓球界のアイドル的存在

・将棋界のアイドル的存在

 

※ 動物園の…、などもあり得るが…、今回は人に限定する

 

などである。

 

まず、この人達に共通する部分は何であろうか?

 

アイドル的存在の共通点

もう、これはそれほど深く考える必要もなく、皆さんも思い当たるところではなかろうか?

 

そう。

 

ルックスの良さ

 

これに尽きる。

 

いや、だがしかし待て。これも、抽象的で、属人的になる要素の一つである。

 

「ワイは◯ス専や、◯ちゃんはワイにとってはアイドル的存在や」

 

ということにもなりかねない。

 

ここも明確に定量的に定義をしてみたい。

 

「◯◯」の定量

一番我々が想像しやすい、身近な人で考えてみたい。その場合、やはりサンプルになるのが「クラスのアイドル的存在」が、良いサンプルだ。

 

さて想像力を働かせてほしい。過去に遡るもよし、今学生の皆さんは特定のあの人を想像してみるもよし、具体的な「アイドル的」な誰かを想像してみてほしい。

 

……。

 

想像しましたかな?では仮にこれを「Aさん」としましょう。

 

さて、では何を以ってアイドル的ルックスとするかであるが、皆さんがその対象に対して抱く感情は、どのようなものだろうか?

 

「付き合いたい」「交際したい」「◯◯したい」

 

と、当然思うだろうが、その中で実際にAさんに「告白」等の相手に思いを伝える行動を起こした人はどれくらいいるだろうか?

 

恐らくは、殆どの人が遠目に眺めているだけで「自分とは釣り合わない」「勇気がない」と、尻込みをしてしまっているだろう。

 

そんな日々を送っていると、ある時「Aさん、Jくんと付き合ってるってよ?」という聞きたくもない噂が聞こえて来て、凄まじい「嫉妬」に襲われるのである。

 

そう、この嫉妬が重要なファクターである。

 

A子さんが、特定の異性と交際しているという事実に対して「何割」程度の異性が嫉妬という感情をもつか?

 

が重要である。

 

統計的に見てみると良いのだろうが、そんなくだらないデータは多分ないので (あったら教えてください)、ここでは

 

15%の異性

 

としたい。おそらく、「羨ましい」程度ではなく「嫉妬」レベルの感情を抱くのはそれくらいという、勝手な想像である。

 

定義

 なので、ここで一つのアイドルたる要素が明確になった。

 

「特定の異性との交際が発覚した際に15%以上の人間が嫉妬をする程度のルックスを要する人」

 

2つ目の再定義

アイドルだけに起こること

さて、1つ目の定義であるが、これは「アイドル」「アイドル的」の双方が内包しうる要素であるからして、このさらに先に、この2つの存在を明確に分けるラインが有るはずである。

 

では、それは何か?

 

じつは、そこには先程出てきた「嫉妬」というファクターが、大きく関わってくる。

 

皆さん、先程同様、クラスのアイドル的存在、Aさんを想像してみてほしい。

 

もし、仮に、あなたがAさんを好きでたまらなくなったとして、実はあなたの大親友がBさんもまた、Aさんを好きであるという三角関係になった時、いつもと同じように、Bさんと接することができるだろうか?

 

恐らくは、親友と自分に言い聞かせつつも、ライバル心、敵愾心が、こころの何処かでくすぶってしまうはずだ。

 

ところが、「アイドル」と言われる人たちの場合を見てみると不思議な現象が起こっている。

 

そう。

 

大勢の同性同士で、特定の異性のアイドルを応援する光景。

 

普通に考えるとこれは、とても不思議な光景ではないだろうか?

 

アイドルとファンの間にあるもの

そうである。この現象こそ、「アイドル」と「アイドル的」を分けるライン、すなわちアイドルをアイドルたらしめる明確な要素ではないのか?

 

ここまで、説明すれば、感の良い方ならばお分かりになるかもしれない。

 

・なぜ、ファンはアイドルを手放しで応援できるのか?

・なぜ、ファンは同じ異性を好きなもの同士で、徒党を組み手放しで応援できるのか?

 

それは、明確に「安心感」を持っているからに他ならない。

 

何の安心感か?

 

「アイドルはアイドルである間は、誰のものにもならない」

 

という安心感が、アイドルとファンの間にあるからこそではないだろうか?

 

だからこそ、「成長」を安心して見守ることができ、見返りを求めず、多額のお金を投資ができるのである。

 

クラスの、スポーツ界の、音楽界の「アイドル的」存在を応援する場合は、常に「いつかは誰かのものになってしまう(既になっているかも)」という不安をいだきながら応援しなければならない。

 

そんな、不安を一切取り払い、「誰のものにもならないから、安心して応援して」宣言をできるものこそが、「THE アイドル」であると言えるのではないか?

定義

というわけで、もう一つの重要な要素であり、アイドルをアイドルたらしめる要素が見つかった。

 

それは、

 

「私は、誰のものにもなりませんという宣誓をファンに出来る人」

 

である。

 

アイドルとしての価値

アイドルはアイドルであることに価値がある


「特定の異性との交際が発覚した際に15%以上の人間が嫉妬をする程度のルックスを要する人」

「私は、誰のものにもなりませんという宣誓をファンに出来る人」

 

これを鑑みるに、やはりアイドルはアイドル的存在ではなく「アイドル」であることに価値があると感じる。

 

何が言いたいかというと、アイドルでなくなるということは、いわば「特定の誰かのものになるかもしれないけど、それでも応援してくれる人は応援していいよ」ということになる。

 

これは、ファンにとっては、凄まじく酷であろう。

 

「卒業」というシステム

そういった意味で、最近良く聞くアイドル「卒業」というシステムはある意味で、すごく親切なシステムである。

 

その日を境に、「特定の誰かのものになるかもしれないけど、それでも応援してくれる人はこれからもよろしくね」という宣言をするのである。

 

当然、「自分には無理だ」という人と「それでもいい、ついていくよ」という人に別れるであろうが、先程定義したアイドルの性質上、前者が圧倒的であろう。

 

それが故、アイドルを卒業後、極端にうまくいかない人も多いが、まあ、当然といえば当然である。「自分の応援するアイドルが誰かのものになる恐怖」と戦い続けながら、応援するマゾヒストは少ないだろう。

 

おせっかいながら卒業後、如何に生き残るか?を考えた時、アイドル時代からそれ単体で価値がある特徴、特技、個性を育むことが大事なんだろうなと。

 

やはり、アイドルはアイドルであることに価値があると、つくづく思うのである。

 

結論として、だからこそ「誰かのもの」になる、ましてや結婚はありえーねーだろ、と思うのである。

 

ももちすげえ

www.oricon.co.jp

そう考えるに、ももちこと、嗣永桃子さんはすごいなと。

 

15年間、この2つの定義から外れることなく活動をし、そして最高の「卒業」をやってみせた。

 

小指をアンテナに見立てて、愛を受信するということをやっていたそうだが、まさに「誰のものにもならないから、安心して応援してくれ」という、宣誓そのものじゃないか(ウイングに念でも込められてるのか…)。

 

おそらく、この後、交際にしろ結婚にしろ、異性とのお話が出たとしても、多くの人が暖かくそれを受け入れ、祝福するのではないだろうか?

 

 

 

綺麗事の最後

さて、アイドル素人の自分がアイドル論を書き連ねてみたがいかがでしたでしょうか?

 

さてこれら、ここまで書いておいてなんだが、すべて綺麗事である。

 

人間である以上、誰のものにもなるな、という制約は酷である。あるがゆえに、繰り返すが、アイドルであることを貫き通すことは、すごい!!それだけで尊敬に値する(だから、ももちもすげえ!!)。

 

アイドルを応援し続ける人は、そういった定義があることを前提とし盲信しながらも、文春砲や、ゲスいマスコミ、さらにSNSで発信される1億総パパラッチ時代の、横槍に耐えなければいけなくなってしまった。

 

アイドルもまた、アイドルであることを貫くこと(表面上だけでも)は昔より難しくなった。おまけに、何かあってもプロデューサー(秋◯康)は盾にはなってくれず、自己責任。

 

さてさて、そんな中で、このスタイルのアイドル劇場がいつまで、続いていくのか、どう進化していくのか、無責任に見守って行きたいと思う。

 

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